二子神社 (Futako Shrine)
二子神社 (Futako Shrine)
神奈川県川崎市高津区二子1丁目にある神社
もともとは神明社と称し、創建は1641年(寛永18年)といわれ
武田家の旧臣・小山田兵部により天照皇大神を守護神として祠が建てられた。
大山街道沿いにある第一の鳥居
鳥居の左側には二子神社とかの子碑の案内があります
そして、鳥居の右側には大山燈籠についての案内があります
~案内文~
大山は神奈川県中央部にある山岳で標高1,246メートル、年間降雨量が
多く雨降山の別名がある。
山頂に阿夫利神社があり、山腹に不動尊で有名な大山寺がある、両者を総称して
一般に大山様と呼ばれ、古くから農業、商売繁盛、技能芸能の神仏として
農工商の庶民に厚く信仰された。
阿夫利神社の神官や大山寺の住職を「御師」といった、御師は関東一円に
特定の受持ち区域を持ち常々村々を巡回し大山信仰の布教と大山講の組織作りにつとめた。
大山信仰が盛んになったのは江戸文化が発達した中期頃からで、江戸市民は
多くの大山講を組織して集団で登山参拝した。
落語の題材にもなっているように、江戸から大山街道を通り伊勢原に至り
大山登山参拝後は一路平塚に出て、江の島 鎌倉 藤沢等の名所旧跡を見物し
神奈川より船で品川に渡り江戸に帰る行程は、江戸市民が大山講を兼ねた、
3,4泊の観光慰安旅行であった。
往来する大山詣での鈴の音は夜の大山街道に遠くからひびき、二子宿や溝口宿は大山詣での御客でにぎわった。
古くから阿夫利神社は農業の神として信仰され、特に日照りが続くと大山様に
雨乞いすればかならず雨が降ると信じられた、事実雨乞いすれば不思議と雨が降った、
このため各村々には早くから大山講が組織され信者は毎年7月26日の山開きには村内一定の場所に大山燈籠を建て8月27日まで、連夜かかさず灯明をつかた。
大山街道沿いに立つ大山燈籠は夜間通過する大山講中の道標ともなった。
この燈籠は当時の夏の風物詩であった、旧高津村が二子神社前に建てた実物です。
総桧作りで大正末期に再築されたもので電球で灯明した、その昔は二子の渡場に建てられ油、ローソクで灯明されていた。
~案内文終わり~
夏に燈籠が設置されるようですが撮影した7月19日にはまだ燈籠はありませんでした。
第一の鳥居を通ると両脇にアパートや小型のマンション、民家が並んでいます。
ずっと進んで行くと第二の鳥居があります
一礼して鳥居をくぐると左右に狛犬があります。
右側の狛犬の顔は無くなっていました。
左側の狛犬の顔は残っています
すぐ左側には手水舎があります
こちらの手水舎は普段は使われていないようです。
一応、こちらの場所で手や身体を簡単に清めて少し身綺麗になった感じで参拝します。
いよいよ参拝です。
二拝
二拍手
一拝
の一般的な作法で参拝しました
参拝の時には天照皇大神様への感謝の気持ちをお伝えました。
(参拝する神社がどちらの神様を祀っているか調べて、またその神様がどのようなタイプの神様なのか認識して神様に感謝する気持ちで参拝すると良い参拝になるそうです)
拝殿にて参拝を済ませたら神様がいる神殿を見に行きました。
拝殿の奥に神殿があります。
こちらに神様がいらっしゃいます
神殿からは神々しいエネルギーを感じますね。
神社の左側には天皇陛下御即位の記念樹が植えられていました
まだ小さいですがこの木が成長するのが楽しみです。
記念樹の奥には庚申塔があります
庚申塔は庚申塚ともいい、中国より伝来した道教に由来する庚申信仰に基づいて建てられた石塔をいいます。
更に奥に進んでいくと出世稲荷社があります
1930年に二子三業組合が伏見稲荷から勧請しました。
第六天を合祀した際に、そこにあった稲荷社を移したと言う説もあります。
三業とは宿場町として栄えた芸妓置屋・待合・料亭のことをいいます。
(第六天については後にふれていきます)
(宿場町を思わせる建物の写真もこの後に)
出世稲荷にも狛犬のようなものがありました。
境内には岡本かの子の文学碑「誇り」があります
この地の旧家大貫家に生まれる。
多摩川を愛したかの子のために、多摩川を眺むこの地を選び「誇り」という名の文学碑が建てられた。
岡本太郎の作で、台座は建築家である丹下健三が設計し、1962年に完成した。
二子神社の裏は多摩川の土手が広がっています。
毎年、多摩川花火大会が催されて沢山の人で賑わいます。
隣駅にある楽天の本社ビルも見えますね。
それから、神社の周辺を散策すると宿場町として栄えた頃を彷彿とさせる
建物を見付ける事ができました。
なんだか風情を感じますね
二子神社から数分歩くと出世稲荷の所でふれた第六天の跡地があります
現在は石碑が建てられて小さな公園になっています。
第六天は第六天魔王(他化自在天)を祀る神社として関東地方(旧武蔵国)を中心としてその周囲に存在する神社です。
織田信長が篤く信仰していたとされていて、その後を継いだ豊臣秀吉が第六天の神威を恐れ西日本の第六天を廃社したため西日本では皆無となっています。
大きな銀杏の木が印象的な公園です。
更に歩いて行くとこの辺りが二子という地名になった理由を知ることができました。
こちらの石碑の裏に色々と書かれています。